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1880【現代語訳】植木枝盛「民権は憲法の奴隷じゃない」(原題「民権は憲法の奴隷にあらず」)


2019-03-17

民権は憲法の奴隷じゃない

(原題:「民権は憲法の奴隷にあらず」、1880(明治13)年)

原文:植木枝盛  現代語訳:山本泰弘

 

 たわけ者め、何を言うか。「民の権利を広げる上では、予めその限界を決めておかなければならない。憲法の枠内で、法律を第一に優先して、民の権利はその下に広げるのだ」だと?お前は民権を粗末にし憲法の奴隷におとしめている。お前の妄言にわざわざ反論したくもないが、私は民権がお前のような馬鹿者にもけなされるのを放置するわけにはいかない。

 

 だいたい国家とは何か。まず民があってそして成立するものではないか。国家の憲法とは何か。民の自由と権利のために設けたものではないか。つまりは民が先であり、国家は後なのである。民の権利がまずあって、憲法はそこに招かれたのだ。民権を保全するのは国家を設けた目的であり、制度として憲法を定めるのは民権を保全するための手段なのである。

 したがって、先のものに合わせて後のものが作られるべきであり、後のものは先のものに従うべきである。主人は客人より重く、客人は主人よりも軽い。目的は手段に動かされるわけにはいかず、手段は目的のために用いられる。それを全て逆転させ、後にできたものに合わせて先のものをゆがめ、主人を軽んじて客人を重んじ、手段のために目的を動かすようなことがあってよいわけがない。

 つまりは、憲法は民権のために作られるべきもので、憲法があって民権が生じるのではない。だから憲法は民権のため変動することもあり得るだろうが、民権が憲法によって殺されてよいはずがない。憲法を定めるに当たっては民権に基づいて憲法を作るべきであり、民権を広げるに当たっては民権それ自体の本来のあり方に基づいて広げるべきである。

 

 もともと、国家の憲法というものは天地と自然の中にできた不変のものではなく、人間の手で作られたものだ。だから、特に政府が自分勝手に命令して定めるものもあれば、国家的な公の議論により成立するものもある。しかも公の議論といっても時には正しくないこともあり、公の議論ならば必ずや完璧だというのは思い違いも甚だしい。よって、公の議論によって定めた憲法でも完璧とは言えず、まして本来公の議論で定めるべきところを政府が勝手に定めた憲法ならば、民の満足や安心とはかけ離れたものであるはずだ。

 要するに、民権は決して憲法の定めるところを限界として広げていくべきものではない。民権は、ただその本来のあり方を限度として広げていくべきものである。

 

 もし、国民が民権を広げるに当たって憲法の定めを限界としてしまえば、現時点の憲法が民権のうち9割を奪って政府に握らせ、残りのわずか1割を民に与えていたとしても、その1割を確保するほか仕方がないということになってしまう。また、憲法が民権の半分を官僚に横流しし、残り半分を民に与えると定めていたらやはり本来の半分を確保するほか仕方ない。それにとどまらず、憲法に沿って民が虐げられてもどうすることもできないことになってしまう。ここに至っては民権は憲法によって殺されたと言うべきで、主人は客人によって斬られ、目的は手段によってゆがめられたと言うべきである。深刻な一大事ではないか。

 

 今日、日本の民が民権を広げるというのは、政治上の権利であれ人の生き方に関わる権利であれ、権利が本来あるべき姿を目指して広げていくという意味である。だから、広げるといってもただひたすら途方もなく広げようとしているわけではない。私もまさにその思いだ。この他に、どんな限度があるというのか。 

 たわけ者め何を言うか。たわけ者め何を言うか。「民の権利を広げる上では、予めその限界を決めておかなければならない。憲法の枠内で、法律を第一に優先して、民の権利はその下に広げるのだ」だと?民権をさげすむこと甚だしい。お前は民権を憲法の奴隷におとしめているのだ。民権に対してなんと不敬なことか。直ちに民権に対し謹んでひれ伏せ。

 そんな愚かな説を唱えるのはいったい誰か。郵便報知新聞である。明治14(1881)年6月14日発刊の第2506号に載っている。

 

〔底本:『植木枝盛集 第三巻 新聞雑誌論説1』〕