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1877 植木枝盛「『国賊』とはいったい何か」 (原題「何をか国賊と云うか」)


「国賊」とはいったい何か

(原題「何をか国賊と云うか」、1877(明治10)年)

原文:植木枝盛  現代語訳:山本泰弘

 いにしえより、政府に対抗する者がいれば人々は安直に国賊・反乱者と呼び、あまりに簡単に「賊」という字を用いてきた。どんなことであっても政府に対抗する人民がいれば「賊」呼ばわりし、その一方で政府についてはたとえ暴虐で圧制をなしても「賊」と断じることはない。

 「賊」というのは、そのような意味では全くない。「賊」とは盗む、殺す、傷つけることだと字典に載っている。「盗賊」、「海賊」がその例である。なぜそれが政府に対抗する者を指す字だというのか。さらには、「孟子」(孟子の教えの書)に「仁を害する者を賊という」と記されている。よって人民だろうが政府だろうが、仁を害する者こそを賊と呼ぶべきなのだ。

 しかしアジア人は前述のように、政府に対抗する者を指して賊と呼び、どのようなことであろうと政府に対抗する人民がいれば賊と呼ぶ。まさに、三国志の諸葛孔明が「出師の表」に、「我らが漢王朝こそが正義であり、その他の勢力はみな悪しき賊である」と記したようにだ。

 日本でも「太平記」(南北朝時代の出来事を書いた歴史文学)には「賊」の字が出てこないよなと考えたが、頼山陽の「日本外史」(平安時代末期から南北朝時代を含み江戸時代までの歴史を記した漢文の歴史書)には(後醍醐天皇に敵対する足利尊氏を指して)「賊」が使われている。

 その他の人々も単純に政府に対抗する者を「賊」と書き残し、やがて現在に至っては誰一人としてその使い方を疑う者はいない。新聞記者のような者も古来の卑屈な見方に染まって、(西南戦争で政府と戦った)西郷隆盛桐野利秋らを軽々しく「賊」と報じ、そのおかしさを全くわかっていない。なんと浅ましいことか。

 自力で気づかないどころか、他者からこの点について議論されてもなお理解できない。私が「賊」の字は盗む、殺すの意味だと指摘したとしても、奴らは「そもそも字というものは時代によって意味が変わっていくものであって、国の敵を指して『賊』と言っても問題なく、昔の時代から使われてきたじゃないか。西郷・桐野らは断然政府に刃向かい、天皇から攻撃命令が出ているから、もはや『賊』であることはわかりきっている」などと主張する。

 対立している事態の中身を自ら検討することなく、政府に明らかに対抗していることと、天皇から攻撃の命令が出ていることの二つを理由として、「賊」であることは疑いなしとしている。全く卑屈の極みである。

 以上のように、政府に対抗する者なら何でも国賊と呼ぶのは、古来アジア人が卑屈であるための行いだ。なぜかといえば、卑屈であるからこそ、政府といえば何が何でも正義とみなし、天皇は完全無欠で過ちも誤りもない者と思い込み、その一方で人民はごくごく些細で卑しい存在と考え、自ら正義を判じることなく、政府や天皇に対抗する者がいれば安直に「賊」呼ばわりするのである。これを卑屈の極みと言わずして何だと言うのか。

 だいたい、政府も人であり、天皇も人である。税を厳しく取り立てるような盗みを働けば「賊」であり、人を殺せば「賊」である。仁を害すれば国賊である。何を容赦することがあろう。人民といえども盗みや殺しをしない者は「賊」とは呼べない。西郷・桐野は単なる敵で、「賊」ではない。なぜならば、彼らがどんな主義であるかは知らないが、要するに政府に敵対し政府軍に抗戦するのみであって、「賊」を行っていないからだ。

 これだから私は諸君に望む。卑屈の気風から脱して物事を見るには、独立してそれを見据えることを。何かのせいで歪んだ見方をすることのないように。

 

〔底本:『植木枝盛集 第三巻 新聞雑誌論説1』〕