1875 竹下弥平憲法構想
竹下弥平憲法構想(1875(明治8)年、「朝野新聞」掲載)
現代語訳:山本泰弘
底本:「竹下弥平の憲法草案」、久米雅章 他『鹿児島近代社会運動史』、南方新社、2005年、Pp.54-57。
(導入文)
わが帝国において神聖な賢者である天皇からのメッセージには、「天が君主を設けるのはただただ国民のためである。君主のために人民がいるのではない」とある。
中国の古の賢者もまた、「世界は人々みんなの世界であって、誰か一人のものではない」と言っている。欧州の古い言葉にも、「わが国は愛すべきだ。ただし、自由というものはわが国よりも愛すべきだ。わが身は滅びても、わが国が滅びることはない。わが国が滅びるとしても、自由というものは滅びることはない」とある。
私は幼い時、これらの言葉を聞き、心のうちにこう思った。これらの教えはまさに理にかなった真理だ。しかしその真理は必ずしも実行できるわけではない。わが国は、天性の英雄が現れでもしない限り、どうして過去二千五百年のしきたりを思い切って刷新し、先の言葉が示す真理というものを実行できるというのか。
数年前の戊辰戦争で幕府は転覆したが、時代に逆らう古い頑固なしきたりや考えは、倒幕派の錦の御旗のもとに一掃された。これにより日本国内は一変し、かつての藩は一斉に新政府の県に替わった。この明治維新に当たって天皇が自ら出した「公共のあらゆる選択や判断については、オープンな議論で決める」などとするメッセージは、先に紹介したような、いかなる時代や社会にも通じる普遍的な真理に基づくものだ。明治維新は、その真理を実行に移す契機であった。私が幼い頃に疑わしく思ったことは、みるみるうちに解決してしまった。
ここでさらに気合を込めて、この自由民権の真理がますます発展し、欧米先進国と並ぶ水準に至ることを望む。その方向で七年経ったものの、政治改革は調子が狂ったかのようだ。私がかつて山よりも重く鉄よりも固いと常々信じていた、維新の基礎である自由民権の誓いがうやむやになってしまうとは。読者のみなさんも疑わしく思われるだろう、自由民権の真理は現実のものになるのかと。
そんな中、人々の代表による議会を開こうという議論が起こっている。それにどんな利点や欠点があるのか、期はすでに熟したかまだ早いかなどについて賢人たちが議論している。ただ、細かいことにこだわっている場合ではない。あえて言おう、神聖な自由民権の誓いがうやむやにされようとしているときに、それを甦らせるものは議会の他に無い。自由民権の真理が封じ込められようとしているときに、それを救い出すものは議会の他に無い。
その議会について私が切望する原則を、条文にして記す。
第一条
明治二年の戊辰戦争終結以来七年経つが、確かに国は歩みをまた一歩進め、君子豹変すべきはまさにこの時である。故にわが帝国は、ますます朝廷の政策を広く深く行き渡らせ、わが帝国の福祉を大きく進展させられるような憲法を確固として定めるべきである。
第二条
第一条に言う憲法を定めるのは、五箇条のご誓文の趣旨を拡充するためであるから、立法権を議院(すでに在る左院・右院を改め、新たに設ける左院・右院)にすべて委任するものとする。
第三条
左院は定員を百人とする。
定員の三分の一は各省の官僚(奏任官四等以下七等まで・判任官八等から十等まで)のうち、担当の仕事に熟練しかつ才能と見識を備えた者を、省ごとに若干名選び出して議員とする。
別の三分の一は、現在の社会一般において著名人として知られた功労者、旧参議・旧諸公のような在野の有識者、および博識で卓見な諸先生(例えば福澤諭吉、福地源一郎、箕作麟祥、中村正直、成島柳北、栗本鋤雲のような知識人・言論人)から選挙して議員とする。
別の三分の一は、府県の知事・令・参事に命じて、その地域において俊秀老練で、民間社会を熟知し、地域の利害についてことごとく把握する者を選挙させる(これも最初は太政官より地方官に通達して適正に選挙するよう注意する。この小節については各地の地方官が適宜に選任することも妨げない。議院が設立された後には、別に詳細な選挙法を設ける必要がある。それについては別に述べよう)。選ばれた者は各府県の令・参事とともに代議員となって議会に出るものとする(後日、議院を選ぶ法律を整備するまでの間は、令・参事を併せて地方選出議員として取り扱わなければならない)。
第四条
右院の議員は、現在勅任官以上の行政官の者および皇族・華族の中より選挙(第三条の記述に同じ)されるものとする。その定員は百人に限定する。ただし、司法官と武官は議員になれない。
第五条
太政大臣(行政の長)および左大臣・右大臣は左右両院の選挙によって定めるものとする。
第六条
左院・右院を、開会・閉会するのは、天皇陛下の特権である。
第七条
帝国の歳入・歳出を定める特権は左右両院にある。
第八条
帝国の憲法を定める、もしくは改訂・加筆・削除することは一切すべて左右両院の特権である。よって、たとえ行政官、司法官、武官が、どのような権威をもってしても、どのような場合であっても、議院の持つ立法の権限をわずかでも侵害することは決してできない。このことは、国を立てるにあたり最も重んじるところである。