日本国憲法第8章(地方自治)における戦後の民間憲法草案や私擬憲法との関係について
Ⅰ:日本国憲法制定過程の概略
1945 11.26 第89回帝国議会臨時招集
12.18 衆議院解散
12.26 憲法研究会(高野岩三郎、鈴木安蔵など)が「憲法草案要綱」(①)を発表
12.28 朝日新聞、毎日新聞等の一面に「憲法草案要綱」全文が掲載される
1946 2.10 GHQ民政局による憲法草案「マッカーサー草案」(②)完成
3. 6 幣原内閣が「憲法改正草案要綱」(③)を発表 GHQが支持声明
4.10 衆議院議員総選挙
4.17 幣原内閣が「帝国憲法改正草案」(④)を発表
4.22 枢密院審議開始 幣原内閣総辞職
5.16 第90回帝国議会招集
5.22 第一次吉田内閣成立
6. 8 枢密院可決
6.20 第90回帝国議会開会 衆議院に「帝国憲法改正案」(⑤)提出
7. 1 衆議院特別委員会審議開始
8.24 衆議院本会議で修正可決の上、貴族院に送付
10. 6 貴族院本会議修正可決 衆議院に回付
10. 7 衆議院本会議で可決、奏上
10.11 枢密院へ諮詢
10.29 枢密院可決
11. 3 日本国憲法(⑥)公布
1947 5. 3 日本国憲法施行
①憲法研究会(高野岩三郎、鈴木安蔵など)によって、植木枝盛案や立志社案などの私擬憲法や、アメリカ憲法やワイマール憲法を参考にした、明治憲法の改正案である「憲法草案要綱」が作成される。
②GHQ民政局は「憲法草案要綱」を高く評価。「憲法草案要綱」を土台として、GHQ民政局によって「マッカーサー草案」が作成されて、日本政府に提示される。
③「マッカーサー草案」を外務省が和訳、法制局が法文化して、「憲法改正草案要綱」を作成し、発表。
④日本政府による修正と口語体への変換が行われて、「帝国憲法改正草案」が作成される。
⑤枢密院での審議と修正を経て、「帝国憲法改正案」が完成される。
⑥第90回帝国議会で、衆議院、貴族院それぞれの審議によって「帝国憲法改正案」の内容が修正され、可決される。枢密院でも可決されて、「日本国憲法」が完成される。
Ⅱ:日本国憲法第8章(地方自治)の内容の変遷
①「憲法草案要綱」
明治憲法には地方自治の定めはなく、制度としても存在していなかったため、明治憲法の改正案である「憲法草案要綱」にも、地方自治への言及はなかった。こうした「憲法改正要綱」に不足していた部分を、弁護士資格を持つ法律実務家であるGHQ民政局法規課長・ラウエル陸軍中佐が指摘、補充する作業を行う。
※戦後の民間草案で地方自治に言及したものは、佐々木忽一案「帝国憲法改正の必要」のみ。
「帝国憲法改正の必要」第七章 自治
第九十条 国必要ヲ認ムルトキハ法律ノ定メタル地方団体其ノ他ノ団体ヲシテ其ノ名ニ於テ統治ニ任セシムルコトヲ得 前項ノ自治団体ハ国ノ監督ヲ受ク
第九十一条 自治団体ノ事務ヲ決定スル者及之ヲ執行スル者ノ選任ハ当該自治団体ヲ構成スル者之ヲ行フ但シ法律ニ別段ノ定アル場合ハ此ノ限ニ在ラス
第九十二条 自治団体ノ構成組織権能責務其ノ他必要ナル事項ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
②マッカーサー草案(現代語訳・外務省訳)
第八章 地方政治(Local Government)
第八六条 都府県知事、市長、町長、その他下位の政治体で法人となっており、課税権を有するもののすべての首長、都道府県および市町村の議会の議員並びに都道府県および市町村その他の吏員のうち国会で定めるものは、それぞれの自治体内において住民の直接選挙によって選ばれる。府県知事、市長、町長、徴税権ヲ有スル其ノ他ノ一切ノ下級自治体及法人ノ行政長、府県議会及地方議会ノ議員並ニ国会ノ定ムル其ノ他ノ府県及地方役員ハ夫レ夫レ其ノ社会内ニ於テ直接普通選挙ニ依リ選挙セラルヘシ。
第八七条 都、市および町の住民は、自らの財産、事務および行政を処理する権利並びに国会の制定する法律の範囲内において、自らの基本法【charters】を定める権利を奪われることはない。首都地方、市及町ノ住民ハ、彼等ノ財産、事務及政治ヲ処理シ並ニ国会ノ制定スル法律ノ範囲内ニ於テ彼等自身ノ憲章ヲ作成スル権利ヲ奪ハルルコト無カルヘシ。
第八八条 一般法を適用できる都、市または町に適用される地方的または特別の法律は、その地方自治体【community】の有権者の過半数の同意を条件とするのでなければ、国会は、これを制定してはならない。
国会ハ一般法律ノ適用セラレ得ル首都地方、市又ハ町ニ適用セラルヘキ地方的又ハ特別ノ法律ヲ通過スヘカラス。但シ右社会ノ選挙民ノ大多数ノ受諾ヲ条件トスルトキハ此ノ限ニ在ラス。
※この後、マッカーサー草案を法文化して「憲法改正草案要綱」を作成する過程で、法制局官僚は【charters 憲章・基本法】の記述を無くし、【community・地方自治体】を地方公共団体とした。また、「地方自治ノ本旨二基キ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と、全く新しい1条を入れて、地方自治の規定を法律(後の地方自治法)にゆだねることとしたのだった。
③憲法改正草案要綱
第八章 地方自治
第八八条 地方公共団体ノ組織運営二関スル事項ハ地方自治ノ本旨二基キ法律ヲ以テ之ヲ定ムベキコト。
第八九条 地方公共団体ニハ法律ノ定ムル所二依リ其ノ議事機関トシテ議会ヲ設クベキコト。地方公共団体ノ長、其ノ議会ノ議員及法律ノ定ムル其ノ他ノ吏員ハ当該地方公共団体ノ住民ニ於テ直接之ヲ選挙スベキコト。
第九十条 地方公共団体ハ其ノ財産ヲ管理シ、行政ヲ執行シ及事務ヲ処理スルノ権能ヲ有シ、且法律ノ範囲内ニ於テ条例ヲ制定スルコトヲ得ベキコト。
第九一条 一ノ公共団体ニノミ適用アル特別法ハ法律ノ定ムル所ニ依リ当該地方公共団体ノ住民多数ノ承認ヲ得ルニ非ザレバ国会之ヲ制定スルコトヲ得ザルコト。
④帝国憲法改正草案
第八章 地方自治
第八十八条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第八十九条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第九十条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
第九十一条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
⑤帝国憲法改正案 八章については修正なし。
⑥日本国憲法 八章については内修正はなし。
第八章 地方自治
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。②地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
Ⅲ:明治前期の私擬憲法における地方自治
①概略
私擬憲法においては、地方自治を条文化した憲法草案がいくつか存在する。その中でも、五日市町(現在の東京都あきる野市)で作成された五日市憲法草案と、植木枝盛によって作成された「東洋大日本国国憲按」が有名。数ある私擬憲法の中でも、200を越える条文を持っているのは、この二つのみ
五日市憲法草案は、現皇后陛下が記者会見で高く評価する発言をしたことでも知られている※。これは、1968年に色川大吉・東京経済大学教授とそのゼミ生によって土蔵の中から発見されるまで、その存在は世の中に知られていなかった。
また、自由民権運動のスターであった植木枝盛についても、長く忘れ去られていたが、昭和10年代に史料を見つけ出してその存在を明らかにしたのが、憲政史の研究をしていた鈴木安蔵だった。その鈴木安蔵が作業の中心を担った憲法研究会で、「憲法草案要綱」という民間憲法草案が作成され、これが「マッカーサー草案」の土台となって最終的に日本国憲法が完成されたのだった。
※2013年の皇后陛下誕生日に関しての記者会見発言より
『かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。』
②五日市憲法の現代語訳と原文
78 府県令は、特別の国法でその綱領を制定することができる。府県の自治は各地の風俗に・習慣によるものであるので、必ずこれに干渉、妨害してはならない。その権威は国会であっても侵すことはできないものとする。
府県令ハ特別ノ国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ府県ノ自治ハ各地ノ風俗習例ニ因ル者ナルカ故ニ必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス其権域ハ国会ト雖トモ之ヲ〔侵〕ス可ラサル者トス
五日市憲法(原題は「日本帝国憲法」)【1881(明治14)年】
現代語訳:町田自由民権資料館・提供
②植木枝盛案の現代語訳(一部抜粋)
第七条 次に挙げる州を連合して、日本連邦となす。
日本武蔵州、山城州、大和州、和泉州、摂津州、伊賀州、伊勢州、志摩州(以下略 全部で70州)第九条 日本連邦は、各州に対し原則としてその州の自由独立を保護すべきものとする。
第十三条 日本連邦は、それぞれの州の内部の事柄に干渉することはできない。その州内の郡や町村などの制度にも干渉することはできない。
第十四条 日本連邦は、日本各州の土地を奪うことはできない。その州自体が賛成を示す場合でなければ、州を廃止することはできない。
第二十九条 日本各州は日本連邦の大原則に背くことを除き、それぞれ独立して自由なものとする。どのような政治体制を行うとしても、連邦がそれに干渉することはない。
第三十二条 日本各州は、現実に賊徒に襲われ急な危険に迫られた場合でなければ戦闘を行うことはできない。
第三十三条 日本各州は、互いに戦闘することはできない。争い事があれば、連邦政府にその判定を委ねる。
第三十四条 日本各州は、現実に強敵に襲われたり大乱が発生したりなどという急な危険の際には、連邦に通報して救援を求めることまたは他の州に対して応援を要請することができる。各州は、他州からこのように応援を要請されたとき、それが真に急な危険からのものであるとわかるときは救援を送ることができる。それにかかった費用は連邦が負担する。
第三十五条 日本各州は常備兵を持つことができる。
第三十六条 日本各州は護郷兵(州の防衛のための兵力)を持つことができる。
第三十七条 日本各州は、連邦の許可がないのに二州以上で盟約を結ぶことはできない。
第三十八条 日本各州は、関係する二州以上で協議することにより、その境界を改めることまたは州を合併することができる。これを行うときは必ず連邦に通告しなければならない。
植木枝盛「東洋大日本国国憲按」【1881(明治14)年】
現代語訳:山本泰弘 筑波大学学術機関リポジトリより
Ⅳ:最後に
数多くの私擬憲法を生み出した明治時代、近代日本における、日本国民の努力と具体的行動。そして幾多の民間憲法草案を創り出した、敗戦直後、現代日本における、日本国民の努力と具体的行動。こうした近現代の日本の歴史と、その中で先人たちが具体的に築き上げてきた伝統。この歴史と伝統を踏まえて、未来に向けた日本国憲法のあり様が活発に議論されていくことを、心より期待する次第です。
2017.4.29 自由民権現代研究会